Akio Umeda Solo TOPOS Highland H.R 04

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梅田明雄 Akio Umeda Solo 「フルースが聴こえる」
梅田版画工房
01,August.2013 – 31,August.2013
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2013 02
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2013
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
>> toposhr2013-04 / (PDF 534MB)


江戸の馬連一丁で世を渡る摺師ではないけれどもリトグラフという水と油の反発を利用する石版画の製版から刷りを原画構造を解体し再構成する「見切り」として引き受け多色版を一枚に重ねて刷り上げ、版元や勿論原画作家の許諾を取り付けて更に均一に量産する技術を仕事とする「摺師」は、作品の本質構造を含んだ制作過程を専門に負う優れた技術者であり原画に寄り添うという意味で孤独ではない。原画制作を兼ねる摺師というスタンスが王道でないのは、例えば銅版画などのように絵描きがそれを兼ねるほど容易ではないからだ。預かった「格好」に仕組みを与えて再生産するという技術は、初動の「格好」の純粋を解体再構成で失わない熟練が必要となりそれが純粋へのリスペクトとなる。屡々クライアントから予想外の注文も引き受けるある種過酷なコミュニケーションの術でもある。

内外の絵描きの原画を預かり摺師を生業にしている人間が、破れた段ボールを千切り貼ってコラージュを制作する手前に、木版画をはじめている。一版一色の潔いものを廉価に提供するというシステムで原画も自身のものと定めない。彫りたかったという作家の基本には、リトグラフの複雑な構造への関わりの月日が醸した精神の洗練への欲望が頭を擡げたのかもしれない。ワークショップで木版画を馬連一丁で刷り上げる姿はリトグラフの遠大な時間の計り事とは異なり一期一会が表象され、その端的な所作として彼も受け取る側も一杯の茶を飲むような極めて爽やかな瞬間を享受する。

コラージュはフランス語の「糊付け」を意味し、ほぼ百年前に言わば素材サンプリングのミクストメディアとしてブラック、ピカソなどが開始したとされる。当時印刷物などが溢れる時代となり全てを描かなくてもそれら断片の構成で絵画的な広がりを得る事ができたわけだ。以降下描きとして設計図としてドローイングとしてあるいはそれ自体を主たる手法とした美術家たちが好んでコラージュを行い、文学的、音楽的、演劇的拡張も含みつつ、フォトモンタージュへも派生し、壊れた陶器の皿をカンヴァスに張りつけたシュナーベルに象徴されつつ、現代まで不動の手法となっている。一期一会の木版画の横にコラージュを併置して制作をはじめた「摺師」は、取り返しの効かない、後戻りのできない、やり直しの不可能な手法を、確信犯的に選択したとも考えられる。同時に青年の頃の油絵を描く淡い祈りを憶い起こし、軀の何処かにその残り火が灯ったのかもしれない。彼の文脈からすれば敢えて孤独を望んだ姿ととっていいのかもしれない。

いずれにしろ、ひとつの固有の生の曲折が彼に意志を浮かばせた、決定という形に表象されるコラージュ作品群は、ある意味稚拙であり暴力的であり悲哀が籠もり「摺師」で成熟し刻まれた技術皺の裏側の赤い血肉のようなものが顔を出している。「摺師」は生業としてのリトグラフの色彩や解体再構成の技術を今後も深めつつ、溜息のような自由さで、時折率直な彼でしか表象できない種類のコラージュを、束縛されない本来的な人間性として正直に顕していくだろう。それを共に喜びたい。

追記として、紙の選択から画像の色調処理など一切を委ねる「UAO / 梅田大人の出力」という大型出力オプションを様々なプロジェクトにプラグインとして位置づけることを開始した。これは彼の生で獲得した知覚知性それ自体が選別決定する廉価でありつつ高品質なサービスであり、多くの方に、口を出さずに全てお任せで試していただきたい。

ー 文責:町田哲也


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