Masatsune Ise TOPOS Highland 2017 H.R




伊勢将経 Masatsune Ise Solo
1,April.2017 – 30,April.2017
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2017
TOPOOS Highland Haricot Rouge 2017
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
works price list : toposhr2017-1 >> PDF

作家ステートメント

トポス高地にて初めての個展をさせていただくことになりました。私はマツボックリの「鱗片葉」に魅力を感じて今回の個展の作品としました。私にとって見慣れていたはずのマツボックリにはまだ知らない表情があるんだと気付かされた個展にもなりました。
そんなマツボックリの絵をどうか皆さんにも観ていただけたらとても嬉しいです。伊勢将経


 現代の生存環境は恊働する社会であり、個人は他者への役割を学びながら果たす多様且つ複雑な関係性を織りなしており、時にはドメスティックなバイアスに染まり、あるいは組織硬化し崩壊する危うさをも抱え、風のような「自由」な疾走は、固有な個人に約束されているわけではないが、夫々は個体の夢として、生命が光を求めるに似た指向性で「自由」であろうとしている。個体の指先が行うささやかな自由のひとつを「描くこと」と観れば、彼、彼女の個体の夢の実現として受け止める享受を可能としなければ、そもそも個体存在を否定する全体主義的な幻想を抜け出す事はできない。
 描くことを、個体生存の世代、性別、事情を越えた普遍レヴェルで、最も単純で原初的な行為としてこれを個体の発話と鑑みると、その文法は眺める画面で知覚できる。発話自体、個から個へ一対一の発話ベクトルを持つ対話的「手紙」のようなものから、個から群へ放射発話するプロパガンダ地味た大袈裟なもの、あるいは発話の届く相手すら未知のままの探索探求する(自己へ内省するかの)もの、他者性へ身を投げたオマージュや憑依を許した幻影へと溶け込むものなど、個体の性情に応じた多様な文法があり、受け止める者は、何をどのように解釈の懐に収めるか、時と場所に依っては奇怪な享受系を敢えて構築しなければならない場合もある。
 個体を「名」で呼び、彼、彼女の存在を知覚する時、「名」だけが纏う存在の気質のようなものがあり、家族など近親者にはこの「名」こそが、実体を示すということがある。同様に、描かれたことは、単独者の行為である限りにおいて、この「名」と近似値があり、個体存在を証す。
 伊勢将経というまだ若い青年の絵画は、描かねば生きることができないという生存の必然から生まれているわけではない。ふと手にしたマツボックリを描いてみようとしただけにすぎない。それが何を示し、何処へ届けられるかを、青年画家は確信犯的に企んでいるわけでもないだろう。彼の未来は実業家であるかもしれないし、凡庸なサラリーマンを全うするかもしれない。ただ、彼が描いたマツボックリは、彼の名以上に、現在の個体存在を如実に示す「作品」として時を刻み遺る。未だ稚拙な「描く」発話の文法を、愚鈍に反復する生活が、彼自身の「どうしようもない必然」へ変異する可能性があるとすれば、「描く」という自由に触れた実感を棄てないことにある。
 描くことが、こうした「個展」開催という、社会性へやや浸透する拡張によって、再び「はじまり」に戻り、自己と他者、あるいは社会と個人をみつめ、みつめられる時を含みながら、また同じマツボックリを前にして、今度は少々松毬(ちちりん)をぐりぐり広げる解剖などして描いてほしいと緻密な彼の素描を観て思うのだった。

文責 町田哲也