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導入

芸術作品というものがない状況を想像することが、芸術作品の存在の証左となる理屈があるとし、さて私たちは日々の生活の中、何処でどういった芸術を経験しているのだろうか?
これがいわば今回の企画の軸です。加えて、その芸術のはじまりをゆるやかに且つ感動的に共有できないだろうか?この問いをこのまちとしょテラソに受け止めていただきました。

つまり、出来合いの、著名なあるいは情報化され勘違いや間違っているとしてもそれなりの共有認識を得ている例えばピカソなどの芸術を物見勇んででかけて享受することばかりでは、芸術のはじまりを知ることはないわけです。公共の図書館という美術館ではない、空間の目的が図書蔵書を閲覧し、調べ、あるいは仕事の休憩の昼下がりの微睡みの場所であるかもしれない、学生諸君にとっては小煩い家族の小言から逃れて学習できる救済を意味することもある。公共の空間に置かれた芸術を美術館やギャラリーなどで立ち尽くしてみつめるというわけにはいかない、作品からしてみれば不本意な場所であるのですが、これは繰り返し訪れる方々のふと見上げた先の無垢な光景の一部として、ある種不可解ではあるけれども、その日の気分が其処に意識を投げ、問いのようなものであっても、物語であっても、その一瞥から何かがはじまっているわけです。

川合朋郎くんは画家という職業を選び描いたカンバスを売ることで生計を立て生きているまだ若い作家ですが、個人的には知り合ってから十年ほどになります。ホルベインという絵の具の会社がはじめたスカラシップがあり、この国では珍しい企業が作家の作品とステートメントなどの提出書類に対して選考審査を行い、年間限られた人数に数十万円ほどに該当する画材を支給し、選別作家を内外に紹介するカタログを制作する、作り手にとっては嬉しい制度を、川合くんもここにいらっしゃる小山さんも、ちなみに私も受給した経験があり、その受賞者から作家を選別しようとした企画で、彼を探し当てたといったほうがいい。幾度かのさまざまな企画を経て、今回私が長野に居を構えたことをきっかけにして開始したトポス(場所)という考え方の中で、是非展開していただけないかと今回の企画をお願いしました。
トポスというプロジェクトは、作り手が自由にものを構想制作し、いかがでしょうかと個人のオリジナルの表現を提出することからやや退いて、場所の為に何ができるのかを考えることから始めるといういささか厄介な性格を位置づけたのですが、昨年東北震災の、正に「場所の修復」へ全的に向けられた視線と同期したので少々驚きました。以後、作り手ということをこんなものできたぞと強調することは浅ましい「恥」ではないかと私は思っています。

今回、川合くんとは初対面の、長野市において画家の営みを滾々と持続されていらっしゃる、最近は若い女子系作家のあこがれと囁かれているらしい、いつになってもお美しい小山利枝子さん、来年のトポステラソソロの招聘作家に予定している彫刻家の二ノ宮裕子さん、彼女は2007 年に小布施ハイウエイミュージアムで年間を通して開催された、オブセコンテンポラリーに出品参加され、小布施玄照寺での境内アートにも参加出品されています。わざわざ東京から来ていただきました。まちとしょテラソという場所へのリスペクト、刻印を遺したい、これは北斎が促したことでもあると思います。そういった私と川合くんの願いを了解され、男っぷりのよさと割れた腹筋で多忙なお仕事の中、素晴らしい仕事をしていただいた梅田版画工房の梅田明雄さんの四人のパネリストと、寒いなかいらっしゃってくださった皆さんを交えて、フランクに、時にこむつかしい話になるかもしれませんが、お話をしていただこうと思っています。

まず最初に、10/28 より展示展開した作品などに対する、図書館のユーザーの方々に書いていただき投函してもらった質問箱の内容に対して、画家本人から答えていただき、その後、「絵のある場所をめぐって」と題したテーマに沿っても沿わなくても、どう膨らんでも凹んでもそれでよかろうという気軽さで、お話をしていただきます。

1 場所と作品 (10~15分)
2 まちとしょテラソと芸術「公共空間に芸術をいかに配置するか」(10~15分)
3 未来のわたしたちあるいは次世代へ伝えるべき展望(10~15分)
4 スタッフの方々から(久保田さん、花井館長)
5 なりゆき

導入文責 11/29 2012 町田哲也