吉村正美 Masami Yoshimura Solo
http://masamiyoshimura.com
04,May.2013 – 31,May.2013
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2013 01
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2013
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
>> toposhr2013-01 / setting & price PDF / 19,May.2013 update
- 吉村正美の絵
絵画を方法論的に言語へ手繰り寄せて解体し新しい意味を与えたのは時代が人間の生活を未だ理想的ななにものかへ辿り着かない、未構築の過程、途上に居るという仮想(欲望)によって支えられたからかもしれないし、あるいはまた人間の現代的精神構造が自我を膨張する共同体へ溶け込ませるかに動いたからかもしれない。前世紀末は故に多様が表出したがほとんどが(事大主義も含め)いかにも夢想空間へと直に定着したかに見える。今世紀に入り時の十分の一が進行した現在百年前と比較すると至るところで人間的な所作の反復感を認めることができる。相変わらず疲弊し崩れつつも、画家たちは突飛な理念を頭の中で妄想するよりも目の前の出来事へ手触りだけを頼りに実直に関わる事を、観念よりも軀に従うようにして絵筆をとり「絵を描く」ことを続ける画家が多く現れはじめている。吉村正美は銅版画を主体としアクリル絵画も制作する。銅版画はその手法が全世紀にコピー(量産)という括り方で把握されたひとつのスタイルではある。彼女はむしろ物質のプレス印刷の限界によって再現される限定部数の印刷作品という意味合いで価値査定し、印刷される紙そのもの、あるいは銅という金属の腐食の程度や使われるインク自体のあり方を問う手法を突き詰める反復をベースとして、描き出されること自体は「自由」に約束された作家固有の関心、気分によって選ばれ構想されている。
イメージそのものが作家にとって大事なのであれば版画や絵画である必要はない時代に生きている我々にとって、作品が「銅版画であること」「絵画であること」を我々の目の前に敢えて提出する時、そのスタイルや印象の浅薄な判断よりも、もの自体という唯物的な現れとしての作家という存在をいかに日々の生活(あるいは精神)に組み入れるかを、受け容れる側が作家と同じ土俵で考える時を私たちは生きている。 ー 文責 / 町田哲也