松田朕佳 Chika Matsuda Solo
「世界をひっくり返す為に」
01,October.2014 – 31,October.2014
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2014 06
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2014
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
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マツシロオルタナティブ 2014 AVEC (~9/30迄) >>
「Virga/尾流雲」
以前、アメリカのニューメキシコ州に10ヶ月間住んでいた。その年の夏は自然発火で山が燃え続けていた。大気中の湿度は2パーセント。平坦に広がる砂漠の上空に時折現れるVirga/尾流雲。その黒雲から降る雨は空中で蒸発してしまうため大地に届くことは無い。
「Self-contained drawing」
色(粒子)― 色(定着)— 色(粒子)
紙に色を塗った分と、その残り。
宇宙からやってきた色のツブツブは動き回って飛び回って生きているので粘着メディウムで定着させても色は死んで褪せてしまうという。「この世界をひっくり返す為に」(ポスター)
この世界をひっくり返す為にした逆立ちの記録写真
「積もる」と言葉にした松田朕佳の二カ所同時開催で展開する個展は、作家固有の系譜を振り返って辿り直す自省的な形となったようだ。
状況の申告という趣きとなるインスタレーションも、平面的パッケージ化された作品も、細(ささ)やかなこれまでの足どりから得た経験知を動員し広がった見解を、手のひらに乗せる程度の言葉に研磨し吟味するかの端的な現れとして整理される。ともすればライトな一瞥で済まされるシンプルな形象ではあるが、自己を見極める態度としてそこに「嘘」がないかぎりにおいて、実直で爽やかである。例えば未来の予感を形象的に捏造する場合「嘘」と付き合わねばならない。この作家の場合には未来が示されていないということではなく、自らの出自と系譜の幹を示すことでその先端の梢の行方は感じられる。オリジナルティーとは本来そういうものだろう。
独りのというより、ひとつの作家の表出を、継続的に目撃できる我々は、都度の爽やかさに甘えるだけではつまらない。観る者の思念や体感を時に引き受け、あるいは突き放し、あるいは並立するだけであっても、作品はひとつで在ることによって、実存と唯物の狭間へと促され、人間の知覚やら認識を問い続けるものだ。みつめる側の「なぜそうなのか」という懐疑諧謔の眼差しを漂白しゼロにするかの作品の実直さは、受け止めるべき能力を求めると共に、解釈や体感の差異をその表出の余波というより、本質として提示している。砂と音、あるいは粒子といった材も、とりたてて珍しいものではない。平面に使われた色彩も同様に、単に作家が好んで選んだものにすぎない。選ばれた悉と形象だけを表出享受すべきなのではなく、選択への関与の仕方を共有することが、こうした「作品」の味わいでもある。
個人的には*ジャン=マルク・ビュスタモント (1952~)を想起した平面の小作品は、色彩と粒子という作り手の関わりだけにフォーカスしているので、いらぬドラマやロマンチックを孕まないのでさっぱりとしている。作品のスケールによって感応のレヴェルに差異が生じるのだろう、どこかに残滓として感じられる作家の「収集癖」(別に悪癖ではないが)を踏み越えて、更なる地平を展くのは、スケールかもしれないし、勿論、仕方の反復を一過的な関わりと済ませるのではなく、臆面もなく愚鈍にであっても継続させることだろう。文責 町田哲也
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Chika Matsuda 102314 from baeikakkei on Vimeo.