Chika Matsuda Solo TOPOS Highland 2015_04 H.R

投稿日:

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松田朕佳 Chika Matsuda Solo
「花による振り付け」
01,July.2015 – 31,July.2015
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2015 04
TOPOOS Highland Haricot Rouge 2015
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/

松田朕佳展示作品価格表 >> (PDF 602KB)


「花による振り付け」

この激しく揺れ動く大地の上で
花に踊らされていましょう
足を地面にしっかりつけると地面が揺れて転びそう
花の茎を指に乗せ
落とさないようバランス取って
いつの間にか踊っていた
地面の揺れなんて気がつかなくなっていた

撮影地/協力
The Land With No Name (アリゾナ州、ツーソン)

これらの写真はパフォーマンス「花による振り付け」を行ってもらった時の記録です。
この度は展覧会にお越しいただきありがとうございました。

文責 / 松田朕佳


070115 from toposnet on Vimeo.


 わたしたちは日々の生活の中で自らの他に身の回りに身の外に無意識に仕草を与える社会的習慣を持ち、それが自然であるかにそれぞれの意味や効果を亡失して生きている。親や社会が当たり前の風情で手渡したそれぞれを受け取る者たちは疑問を挟む余地なく生に馴染ませる。草木に水をやり洗濯物を干し掃除片付けをして食事を摂る。あるいは、犬猫を家族として飼い散歩をして空を眺めたりする。つまり兎角せわしない世界に知覚を萎えさせているのかもしれない。

 そもそもパフォーマンスという行為性の構想は、こうした日常に人間(私)が存在していることを抽出するような仕草であり、これは同時に日常と人間自体の再認識と現実感触と問いを新しく注ぐことであり、これによって、作り手も受け手も人間の日々の充足を批判的に更新するわけだ。非日常的な精神のみが孤立する場所にこそ藝術が在るというのは錯覚であり、陳腐なオカルトに過ぎない。同様にダンスや唄や演劇などの形式にこそそれが在るというのも同様で、要するに世界の多様な文脈を根と存在に孕み持つのが一本の野花であると考えたほうが至極自然であり、それを眺める人間もその一部と言っていい。

 というのも、松田朕佳の今回のパフォーマンスの記録写真展は、実に他愛のない遊びのような仕草を作家が計画提供しそれを行う者が記録されているにすぎないものであるのだが、ユーモアを伴った日常が拡張される歓びに結ばれる柔らかさを示しつつ、指に草花を乗せて揺れる形象は人間の習慣的な仕草ではない。やってみたくなる。

 家族が何年も共に過ごしてようやくある時突然、知った筈だった家人の指先の形象にうっとりするような契機のようなものを、作家はパフォーマンスで示しているとも云える。

文責 町田哲也


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