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Youichi Kayama Solo TOPOS Highland 2016_02 H.R

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香山洋一 Youichi Kayama Solo
1,May.2016 – 31,May.2016
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2016 02
TOPOOS Highland Haricot Rouge 2016
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/

artists web site >> http://www.youichi-kayama.com

toposhr2016-02 / works price list (PDF) >>


ナガノオルタナティブ 2016「ランドスケープ」香山洋一展 6/4スタート >>
6/10金18:00~ オープニングパーティ


 丁度個人的に油彩(オイルペインティング)の奇特な皮膜性の、その関わり(筆や指)の体感(視認しつつ微細な変化を更新しある種の見え方に立ち入る過程を含めたもの)を見直し、粒子(色顔料)とオイルの混濁面が視認へ及ぼすイリュージョン(仮想的空間)の、入力出力を問わずダイレクトに精神に作用する効果とその機能の普遍的な行方を俯瞰考察する時であったことがまずある。今シーズンのトポス高地作家展を「平面の手触り」と名づけ、過去(近代以前)の油彩絵画文脈を近視眼的(皮膜的)に辿りつつ、所謂「タブロー」というコンスクエンス、イコン以後の鑑賞材としての、不可思議さに幾度も写真画像や液晶画面の平面性と比較するなどして、今更に首を傾げ、どろどろさらさらと数ミリの薄皮材が都度想像力を喚起し変転反復する(させる)描くという行為が、明晰な道標として、見えていく(わかっていく、知っていく、感じていく)という人間的な「直観」に結ばれる意識が秘められた表皮と認めて、では何を描くかということではなく、これで何をするのか、何をしているのかという問いを置くしかなかった。すると現代的な表出タイプの形態として、何が描かれていてもいなくても「皮膜」現象と伺えば、他の「重量」「材質」「空間」などと等価にその立ち位置が顕われてくる。
 多様なテクスチャー、マチエールを持つ顕われのこの皮膜油彩は、色彩発色や痕跡凹凸陰影の重層的な行為過程の集積であるが、人間生活の環境の中ではあまりに非日常的な表皮でもある。織物や陶器漆器磁器、あるいはファニチャーコーティングなど皮膜的な数々は自己完結的なアーティクル(オブジェ)であるから、「終了して」しまった完了形態を示すが、油彩皮膜は画家の指先が繋がったままの胎動的脈動的な継続感があり行為痕跡の時間のようなものすら含みつつ画家がはじめた初動の気配から「終わらないその後」までを示すニュアンスに充ちている。例えば木彫などの鑿跡も同様であるじゃないかと併置すると、皮膜性という点では、比較にならない柔軟性(硬化するけれども)の保全が油彩にはある。
 現在ではCGなどで仮想現実の仮設は簡単でありレンズからの直接引用でサンプリングされたものの変容や類型は、他の銀河の惑星系と唄うパノラマであっても自在に表出(液晶やプリント)できるが、それは「終了した」完了形態の知覚しか与えない。画家香山は自らの作品を「観察描写」ではないと言明してから、近景ではなくアウトフォーカスな且つ淡白でドラマチックでない記憶(累積された)をぼんやり再構成していると説明する。理念が完成される皮膜的「淵」にはまだ至らないかもしれないが、シンプルに手付きを整え苔庭の手入れをするかの丹念なトーン(調子)の開墾で生み出されるものには、いかにも深遠な人の目玉の奥がその湖底にある反表皮(記憶の水溜り)としての皮膜が顕われはじめている。それはマチエールと色彩の混沌、色顔料と結合油のある種中途半端な「泥沼」を覗き続ける画家によってでしか顕われることのないものなのだろう。
 こうした油彩絵画に出会うことで、わたしたちはこのアナログな知覚は、決して画像変換などした情報化されるものではないとわかる。

文責 町田哲也


050116 from toposnet on Vimeo.


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