Akio Umeda Solo TOPOS Highland 2016_03 H.R

投稿日:

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梅田明雄 Akio Umeda Solo
4,June.2016 – 30,June.2016
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2016 03
TOPOOS Highland Haricot Rouge 2016
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/

toposhr2016-03 / works price list (PDF) >>


 1905年から3年程の作風によって、アンドレ・ドラン(Andre Derain 1880~1954)モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck 1876~1958)などと並べられた野獣派と名指されたことを本人は嫌ったと云うアンリ・マチス(Henri Matisse 1869~1954)の,色彩と形象の純化とされるジャズシリーズ(切り絵の作品)をまず浮かべていた。昨年の11月に展開した半立体的な「貌」あるいは「面」の構造は、今回は見送られ、形象的には「魚」と「瓶(ボトル)」のふたつに単純化されている。マチスのジャズシリーズとは異なり、千切られた魚のような形は、むしろフォービズムを想起させ、その状態に呼応照応するかの彩色は無造作に重ねられている。且つ、深海魚の発光を思わせる古材をつかった自作フレームも同様に等価に扱われている。支持体はこれまでと同じく段ボール材であり、直に作為が与えられている。ここ数年の作家の仕事を時間軸に沿って眺めると、描写的な側面が切り落とされ、より鮮明な色彩を与える傾向がある。作家の指向というものは近視眼的に詰め寄るものもあり、ただそういったベクトルは得てしてレンジ(世界射程)が狭窄し丁寧であるだけの器の小さい身動きのとれない態に収まってしまうが、梅田氏の作品展開は、寧ろその逆であり、而も素材に対する扱いを等しく並べるという、「もの自体」への距離が清潔な仕草・態度としてみてとれる。これはいかにも現代的な倫理のアポローチとも考えられるのは、見え透いた虚位(政治)、脆弱構造(福島)、陰謀、捏造などが、浅薄に混濁する世の中であるからだろう。
 図らずも一点展示された非売ドローイング作品は、併行制作されている自身のリトグラフ作品(中途追加展示の可能性あり)を背後に蓄えた、これまでの繋がりを示す女性像だが、身の内の、あるいは表出可能スタンスを意識的に明瞭にする併置と思われる。百年前のマチスとの類似性、併置感などから、作品の構造論を申し立てるつもりはないけれども、時に遡行併置など行って、剛胆にみえる作品に印象と解析、探索の眼差しを新しく送ることで、作家のパラダイムの広がりに触れることができる。

 作家の主催する梅田版画工房がこの秋にアートコンペを公募企画し、住まう千曲市坂井銘醸にて参加資格を問わない作家発掘(賞与あり)を行う。作家自らのこれまでとこれからの軸と成り続けるリトグラフ制作という足元から滲み出るように広がる様々な表出が、つまり作家の思想を形成している。

文責 町田哲也



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