Yukino Suzuki TOPOS Highland 2017 H.R

投稿日:

鈴木幸野 Yukino Suzuki Solo
1,June.2017 – 30,June.2017
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2017
TOPOOS Highland Haricot Rouge 2017
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
works price list :toposhr2017-3 >> PDF

作家ステートメント

なぜかずっと記憶のなかにあるアジサイ。
小さい頃から引っ越しの多かった自分にとって『ふるさと』とは場所を指すのではなく、心のなかにある、かつて味わった甘い印象のコラージュであるのかもしれない。
そのなかに、6月の蒸し暑い雨に濡れる関東のアジサイが見える。肌寒い雨に震える東北のアジサイも。そして、この長野の朴訥に美しいヤマアジサイの原風景も(今まだ咲いていないけれども)、記憶の中のアジサイとごっちゃになって頭のなかにインプットされていくのかもしれない。
…………
自身の作品展示へのお誘いは、普段展示企画を仕事にする私にとって、寝耳に水でした。作家の擬似体験もできるかも、とあまり深く考えずにいたのですが、結果的に描くことをとおして自分自身とも向き合うことができた気がします。
鈴木幸野


【イベント】

現在開催中の「アジサイ展」がらみで、アートと科学のコラボのちょっと変わったイベントというか遊びを予定しております。
食品(缶コーヒーとか)の原料名の最後によく「香料」と書いてありますが、この2文字に秘められた世界、実は奥深いようです。
この香料開発に携わっている友人(フレーバリスト)が、展示アートのコンセプトやその場の雰囲気に合う香りをぶっつけで調合する試みをやってくれるそうです。ちなみに会場がレストランなので、ティータイムの邪魔にならないような香り作りを予定 ^^

〇日時: 6月24日・土曜 15:00頃〜16:00頃
〇場所: アリコ・ルージュ
〒389-1226 長野県上水内郡飯綱町川上2755−1918
026-253-7551
https://www.deli-koma.com/dk/shop/?clid=1001271
〇参加費: 無料 (ですが、ぜひぜひ1ドリンクご注文いただけたら)
 予約不要

一般的に、食品香料の調香師のことを「フレーバリスト」と呼び、フレグランス(化粧品やハウスホールド製品の香料)を扱う「パフューマー」とは違うそうです。

詳しくは→ 日本香料工業会 http://www.jffma-jp.org/about/#a02

フレーバーが面白いのは、人間にとって「嗜好性」の高い香りの再現・追求を目的としていること(一方フレグランスはこの世にない香りの創造)。調香自体には「言葉」で明瞭に表現された「感覚」的なコンセプトを、科学的手順を踏みながらもかたちの不明瞭な「感覚物」として表現するというアンビバレンツな特徴があると思うのですが、フレーバーはさらに、最終的に口に入るものとして、人間の嗅覚と味覚の双方に訴えることを前提としているそうです。結構、アーティスティックな感覚が必要とされるのでは。アートとか科学とか二項対立的ではない分野なのかもしれません。

イベント企画・文責 鈴木幸野



 予め盛り上げた画面をこしらえてから、その隆起と起伏に対してアジサイが描かれている。画家が示した作品のカテゴリーはミクストメディアとあることが、制作自体の過程を分離して示しているとも受けとめられる。現実を「引用」「憑依」する写実的な絵画ではないと言っていい。支持体から顔料素材(色鉛筆なども使用)まで、唯物的に拘った創作の愛着が画面に滲み出ている。この凸凹のマチエールが初動化され牽引する創作を画家が行うのは、若干、彼女自身に固有に蓄えられた探求にあるようだ。

 山ノ内町立志賀高原ロマン美術館の学芸員である画家は、当該施設にキュレーターとして赴任して7年目となり、地域内外の若い美術家を育てる優れた企画展を孤軍奮闘にて開催しながら、所謂地域の観光的業務にも立ち向かう公僕として、真摯に業務を行っているが、彼女自体が研究していた(る?)、イタリアルネサンス前期の画家に関するものがネットで読むことができる。(第59回美学会全国大会 / ブレンツォーニ家墓碑におけるピサネッロ作壁画をめぐる考察 / 2008

 ピサネッロ (Pisanello 1395~1455)は、ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412~1492)、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer 1471~1528)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452~1519)の作品と疑われたこともある寡作な画家であるが、素描の他にレリーフモデリングされた記念メダルなどは多く遺されている。生存した時代が、アンドレイ・ルブリョフ(Andrei Rublev 1360~1430)と重なる。個人的には、ピエロ・デラ・フランチェスカの「見る者に戸外にいるという感覚を抱かせ」た次世代の解放系を、二十歳そこらでみつめたに違いない、大いなる3Dを彷彿するミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni 1475~1564)の跳躍、ルネサンス明晰化の過程、及びおよそ百年後にカメラ・オブスクラかレンズ(スピノザ)の導入(賛否在る)で飛躍的解釈を実行したヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer 1632~1675)へ結ばれるイメージの実現の過程の変容に興味を寄せる者だが、プレ・ルネサンスの国際ゴシック様式に居ながら、その行方を「隆起、盛り上がったマチエール」という来るべきルネサンス最盛期を予知的に抱き寄せたピサネッロに言及する前兆的スタンスが、このキュレーター画家の創作において、作品に顕著に示されていると見れば、ピサネッロと重なる画家の表情が顕われる。最近再読した丸山眞男(1914~1996)の繰り返された福沢諭吉論が、丸山諭吉論と云われることに似て、探求の矛先が自らに翻って芽吹くようなことだと思われた。

 「15世紀北イタリアの諸宮廷における、こうした立体的な装飾への嗜好が絵画にも反映されていた可能性を探る」とした画家は、600年を経た手の内で、ピサネッロの内部に淡く灯った絵画の力学(立体:物質への憧れ・萌芽)を、そのマチエールから、アジサイを借りて辿ろうとしているのかもしれない。

 創作(ここでは絵画)を行うことは、どのような立場や社会的責任を負う者であっても、自己言及と内省を明瞭にさせ、オリジナルの個体であることの宣言として倹しく誇り高く作品に残される。「画家は画家であって他であってはならない」という珍妙な信仰的妄想は棄てるだけでいいと、こうした作品展では、示されてもいる。
 少し大きな作品を創作してみたいという彼女のこれからを楽しみに待ちたい。

文責 町田哲也


060117 from toposnet on Vimeo.