ギャラリーアンデルセン 10/10 ~ 10/15,10/28~11/2 鬱間主観 町田哲也
「地の聲も厨子王の山」materials : 硝子、鉄、枝、水 / インスタレーション(非売)/ gallery Andersen
「直浦の漂着を安寿の骨と聴く世代子らの手元に集められし戯れでも」materials : 硝子、米末、流木、浜砂 / インスタレーション(非売)/ gallery Andersen
「厨子王の静まり – 薪短籍 – い〜ぬ 」materials : 欅 9点 (¥5,000 ~¥10,000 / 10/15価格改変)/ FLATFILE
「狼狽も安寿」カリステモン、古木 ¥35,000 (10/15価格改変) / FLATFILE
「レターセット:厨子王から安寿へ」桐箱同梱:耳付き和紙便箋 (10枚)、ポストカード x 5、洋型封筒、オリジナルドローイング ¥5,000 / FLATFILE
「レターセット:安寿から厨子王へ」桐箱同梱:耳付き和紙便箋 (10枚)、ポストカード x 5、洋型封筒、オリジナルドローイング ¥5,000 / FLATFILE
「Staring by listening」2013 秋オリジナル CD ¥1,500 / FLATFILE
「消滅の技法」materials : 杉、鉄、ゴム、石膏 / インスタレーション(非売)/ 栄心堂ビルスタジオスペース
「塩浜」materials : 硝子、土、枝、鉄、水、他 / インスタレーション(非売・非公開)/ 花井氏宅倉庫
三郎が残虐を尽くして安寿を痛めつけて殺害した部分を割愛した森鴎外「山椒大夫」の日本語の読み易さは大正4年 (1915年)第一次世界大戦の好景気が始まる世相下で、ある種教条的に性善懲悪構造を全うしているが、1872年明治政府の発令した太政官布告にて禁止されはしたが近代まで人買いビジネスの残滓は日常に未だ浸透していることを逆説的に示唆している。十歳でこの物語に触れた私は、人買いという理不尽自体の根拠に納得できなかった。加えて夏になれば直江津という場所へ列車やバスに揺れて臨海学校などに行く事で、この場所が拉致された場所なのだと、私にとっての海の一部を形作っていたようだ。
山の人間にとってのこの海は、海に住まう人間のものと異なり、精神を投影反射する場所となり、持ち帰った思念や夢で辿る月日が、現実を様々に浸食させるような形で醗酵した。空間を創出する時こうした曲折を頼りに、逃走後の厨子王の震える瞼、安寿の早熟な献身の表情、陵辱の原理などを思索に加えると、過ぎ去った遠い過去の固有な物語ではなく、不思議な現実感を漂わせ、現在の立場での屈託として新しく浮かび上がる。
今を生きる現実感として構築すべき実現に結ぶ手法を、素材論や理念や観念で抑制してモノをつくる近視眼的に狭窄進行せざるを得ない立場は古臭く健全でないと疑って決別したことを憶いだす。断片的だった生のビジョンと実感がトータルに符号活性してきた状況がまずあり、ある意味それを徹底して眺め過ごして、眼差しの位置の確認を間近の足下へ落せと促す日々がそれなりに蓄積した。迂闊な短絡反復を戒める為に、行間にイメージを想起する言語空間に似た詩的な現象として、出来事の顕われ方を問うように検証してきた「写真画像」への対峙の姿勢が、そのまま世界への介入の形となっている。
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