BIwa Takahashi Solo TOPOS Highland H.R 07

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たかはしびわ Biwa Takahashi Solo
31,October.2013 – 30,November.2013
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2013 07
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2013
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/
たかはしびわ公式サイト >>


toposhr2013-07 >> PDF / たかはしびわ展示作品価格表


フロイトが超自我(無意識)を想起した時には第一次世界大戦という世界の瓦礫化がはじまっていた。柄谷は憲法9条こそ世界史の最先端に位置する日本の超自我だとカント(純粋理性批判)を引用し指摘した。意識を超えて進むべき彼方を示す無意識の標識(イコン)として例えば絵画があるとして、私たちはそこに浅薄な解釈や認識ではなく、その表象の意味と意味の隙間淵へ深く入っていく知覚力で覗き込まねばつまらない。

たかはしびわはペンギンを描く画家として認知されているがこれは正しくない。彼にとってのペンギンは画布や絵具に近い仕立て、口実であり、ペンギンであるという署名フォーマットを自在への土台にしているにすぎないといえる。彼にとってはペンギンはシミュラークルであり実際のペンギンには生物学的にも興味がないのかもしれないといったら画家は怒るだろうか。鮮明なペンギンのデジタル画像は巷に溢れている。

画家が描写対象形態としてペンギンを選択した初動には、その姿を借り人類の群れや個体を投影したパロディックなあるいはアイロニカルな図像構想があったと語っており、ユーモアに溢れる現代的鳥獣戯画という展開は多くの人に受け容れられた。だがここまでは「他者の欲望」の展開であり、内側では別の事(画家の本質の成熟)が進行している。
描く対象ばかりが画家の性質を示すものではないことは、彼のタブローのディティールが、テレピンという乾燥の遅い現代的には手法的に描きにくい古典技法に近いということがあり、また極細面相筆を使った描き込みで丹念に薄い膜を生成する描く欲求の姿勢にこそ顕著に顕われている。この薄い皮膜性を相対的に比較すれば、技術的にも希有なスタンスで描くことを行っていることがわかる。画家の作品が齎すこの繊細な皮膜性こそ、画家の言わば超自我が封印されており、あるいは開示明示されており、幾度も練り込まれ拭い取られて現出する色彩の「薄さ」が、彼の作品性、作家性であるといえるのは、彼がその不可能な場所を棲家と欲求しているからではないか。

最近は動画作品やオブジェパロディックなオマージュ風の作品もあり、ネオン管を使った作品も制作している。絵画にオブジェをぶら下げる作品もある。だが画家はやはりまた薄い皮膜へと戻り、さまざまに虚構を総動員利用し、皮膜に生存するかに、そういった生き物であるかのごとく描く。そしてこの画家の「描く」という行為自体の困難からの発作的な乖離衝動が、突拍子もない世界の乱雑へと歩かせむしろそれがエネルギーを充填させることになり、皮膜生存へのストレスを暴力的に解消して、再びまた限りなく薄い皮膜(超自我)を獲得しようと背を丸め「与えては消し去る」テレピン揮発の時空幽棲を至福に充ちた表情を取り戻して続ける。


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