Masami Yoshimura Solo TOPOS Highland 2014 H.R 01

投稿日:

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吉村正美 Masami Yoshimura Solo
07,April.2014 – 04,May.2014
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2014 01
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2014
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜


http://homepage3.nifty.com/haricot/
吉村正美公式サイト >>


toposhr2014-01 >> PDF / 吉村正美展示作品価格表


statment ーPractice
今回2つのシリーズが展示されています。
そのシリーズは今まで制作してきたものとは違って、完全には己翻訳機にはかけていませんし、うんこでもなければ天使でもありません。
私がただ”存在”というものに寄り添い、出現したものです。

<être> ”存在”を表す語の中で、響きと見た目だけで選んだフランス語。
ここでの3点の画面には描かれているもの以外に、ともすれば何か別の意味あいを与えるに十分なものが描かれているのですが、極力描かれているもの以外の意味を排除したく上下で分けるという画面作りを試みました。意味を与えないつもりで上下ハーフに切ってみたのですが(気づけばかなりな翻訳機能が働いてしまっていますが)、ハーフに切る事によって今現在、自身の中で存在と言うものの有り様が、空間、間の中でしか存在しないものなのだと改めて実感した次第です。
そしてこの間が少々気持ちの悪いものとなってしまったと感じるのは、基の技術力のなさと相まって、己コントロールの未熟さによるブレの露見かと。

<stage> 絵の具を幾層にも重ねて出現させた作品です。描く(重ねる)度に新しく存在し、ここに存在するものを見て、よく見る事をして、描いています。繰り返し、反復の中で見えたものをただ純粋に提示しています。ここでは5点展示してます。

文責 吉村正美


 絵画の手法も機能も人間の文化史的長大な時間を経て洗練されたものであるにもかかわらずその使い方を現代生活に自然に導入できているとは言えない。休日にセザンヌを観に美術館へ行けば良いというレベルだ。その理由のひとつは固有な個人はドメスティックな閉鎖環境でのみ秘匿的に認知される程度で、社会的な展開においては類型化かバイアスを伴った「集団にとっての優良性」という保守的な概念化をなぜか死守され、固有を既存化する類型知覚の下位に置く習性(他者性の欠如)がこの国にはあるからでもあるが、そんな苦境の中ではアルバイトをせざるを得ないひとりの版画家は昨年のシェル賞受賞も契機となりキャリアの初動で培ったオイルペインティングへ自己探求する姿勢を示した。

 銅版画という限定部数プリントで技法を深化させつつイメージを具現化させる判り易いスタンスで展開をしてきた版画家は、これまでの指先で刻み込んだ銅版画原版をプレス機という非人間的な圧力で痕跡を抜き取る、いわば魂の切断の過程という粛正の儀式が欠如した、指先の振動や香りや狼狽えや決断や積み重ねや反復や削除などがそのまま遺ってしまうどろっとした油絵具を使う絵画の柔軟な「自由」という解放系へ、版画家であったからこそ、今回飢えたように取り憑いたとも言える。だからといって無差別な欲望を出鱈目に放出しているわけではない作品には、世代的あるいは時代的な躊躇も横たわった、妙に抑制され観念的に戒められており、全て手作りが剥き出しの無神経も晒しており、出来るならば新たに得た「自由」の、継続と量産反復の中での潔癖化ではないどろんとした醗酵成熟を待ちたい。

 絵画に示されることの多くは、認知共有できる象徴的な「記号」などによるイメージ(光景)の提示を具体的あるいは抽象的に「描く」場合と、雑多なモチーフを音楽制作で云うところのリミックスやマッシュアップといった交配混合を「編集」するコラージュ、制作手法の設計図をそのまま展開するタイプ、既存の方法論の踏襲、踏襲を含めた制作技法論的な展開、60年代後半フランスでのシュポールシュルファスやモノ派などによって系譜が生まれた作品の平面性を問う非絵画を含んだ展開、あるいは社会的なメッセージを含めた告発的なもの、逆に内省的(時に自虐的でもある)告白記録的なものなど多岐に渡る。勿論その他言葉にできないものもある。
 いずれにしてもひとつの人間がそこに顕われているに違いなく、それがどのような他者への感応となるかは、作品の齎す不思議な「力」といっていい。

 オブジェ指向が強い吉村正美は、物質的なサーフェイスに対する拘りと「描くこと」を、版画家の「刷り以前」と「以後」という分断の手法の眺めに慣れているせいか知らないが、ふたつちょこんと無頓着に平面に置いているために、今回の展示展開が「描くこと」への躊躇と受け止められるかもしれない。これおそらく作品スケールに依る。展示を見送ったスケールの大きな近作では「描くこと」が全面に押し出され、随分伝わるニュアンスの差異がある。と付記しておきたい。また、初めてインスタレーション的に誂えた作品群も、作家の空間創出への欲望の拡張と歓びたい。こうして生存環境を広げた作家が銅版画を再び刷り始める時、怒鳴ってばかりの親父風プレス機などせせら笑ってぶち壊すかの作品展開を期待したい。
 
 絵画の制作経緯と経験を制作者が言葉で顕す時、画家が言説家を選ばずに絵画で示すものと無論イコールではないことに注意したい。その意味を含め「作家の声」たるインタビューを併置したが、作品から得ること知覚されることは「あなた」の経験でしかないだろう。

文責 町田哲也


Masami Yoshimura / TOPOS Highland 2014 from baeikakkei on Vimeo.

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