Kazuya Osame Solo TOPOS Highland 2014 H.R 02

投稿日:

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納和也 Kazuya Osame Solo
04,May.2014 – 31,May.2014
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2014 02
TOPOOS Highland Haricoit Rouge 2014
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜

http://homepage3.nifty.com/haricot/
納和也公式サイト >>
toposhr2014-02 >> PDF / 納和也展示作品価格表(準備中)


071014 OSAME 1 from baeikakkei on Vimeo.

何の変哲のないただの男の20110311の記憶の行方
納和也

僕は何の変哲のないただの男です。老朽化した会社のシステムにぶら下がりトドメヲ刺すように東日本大震災が起こり連動して自分もぶら下がる筋力も細く。蜘蛛の糸の男そのものだった、後から来るものを蹴落とそうとしていました。人生はすべて反省そのものであります。時間の経過とともにそこから良く判らない傲慢さが薄く揺れる白い紙に跳ね返される。もうそれだけだった。20110311の時に六本木に居た。六本木に社屋が移転した時にいやな予感はあった。今更六本木ですか?という感じで。韓国のぺヨンジュンのブレーンの要求だという事は知ってはいたがとても胡散臭いものがあった。気が付くと社内はハングル語が飛び交っていた。その音がだんだん遠くなり気を何度か失ってました。その中で作品を今作れる環境を与えてもらい単純さに徹したものをと思いました。木炭と木炭紙。20年以上前以来でした。作為も何もなく白い木炭紙に木炭を重ねて練り消しゴムで消したり。単純な行為を行うと遠ざかった記憶はまだ重く肩にのしかかっているのが良く判りました。作品を作る際のエゴは今は無くてただもっと木炭の空間の中で過ごしたいという欲求に素直にいたいと思ってます。稚拙なデッサンだけれど続ければその空間は何かの可能性に繋がるのではないかと思ってます。長い時間デジタルだけで過ごしてそのストレスが2007年の個展へ繋がっています。今回の制作の時間を与えてもらった事はかけがえのない事であります。


 25年以上前になるか、諏訪に住む黒澤という友人が独りで水路などを点検するダムの管理人のしごとを始めた頃、その住居にて散らかった土間の変哲のない、長靴やら解体したバイクの部品やらの転がる片隅に向けてイーゼルを立て、木炭素描を行っていた。その素描はこれといって目的の無い食事のようなものだと彼は説明するでもなく呟いた。淡々とした木炭がかさっと音をたてて置かれ指先で定着を繰り返した淡い調子を重ね、輪郭の乏しい、アウトフォーカスがMBM木炭紙に、土間の片隅の「解体と再構成」の奥行きをつくり、強調と恣意といった表現が省かれた「きょとん」とした動物の目玉のような仕草が反復され、彼の生活の孤独な時間を持て余すことによったのだろうか、あるがままの「見える」ということだけの実直が加わり、油絵など実作の下描きと位置づけられるよりも、この国の美術系大学への進学のための制作試験や大学実習などで訓練経験される記憶や印象の濃い「木炭デッサン」を、私は全く別に自立したひとつの手法の作品として眺めていた。彼の作品は、1993年に開催したニパフの賛同作家展で招聘依頼し展示している。
 中堅の成熟期に入りつつ木炭による素描を現在も行うエイプリル・ゴーニックという画家が米国にいて、黒澤の作品の印象を重ねるように彼女の作品を観ていた。個人的にも訓練の時期に私の指導者の木炭素描作品を見せていただいた時、石膏象の置かれた空間が写し取られたあまりに繊細で写真のようなトーンの美麗さを驚いた記憶もいまだに消えない。

 納和也は、MBM木炭紙に痕跡を残す作品制作を二年前からはじめていて、当初はいかにも木炭という素描素材の切り詰められた端的さと描かれた線の朴訥をむしろ拠り所とするかの、後戻りできない、その時の大小の決断が遺ってしまうドローイングというよりも、人間の足跡のような、一見乱暴だが、自身を偽り無く申告する手続きなのだと認める仕組みとして提示することを、続けていることがまずある。インテリアデザインを学び、所謂デザインの仕事を継続しながら、扁桃体が暴走し、現在鬱に罹患している彼は学びの初期に、現代美術の手法論やその時代の「ものの現れ」に触れていたので、その経験とものが示す彼方への、淡い恋慕に似た目つきが現在も残っているのだろう、インスタレーションによる個展もデザイン業務の中で、唐突に訪れた覚醒に従うように行った。

 鬱とユニークな系譜文脈はここでは省くことにして、彼の辿り着いた木炭による素描の行方の可能性に思いを巡らせると、前記したような憧憬がわき上がる以上に、原始的な「見ること」の知覚経験へと促すものがある。つまり観るものは「描きたく」なる。乱暴で単純で衝動的な線描の縁で何気なく過去の経験を振り返り、憶いだすかのトーン(調子)を与える画面をこしらえた時、フランスのキャンソン社の日本向け独自木炭紙のコットンとセルロースを原料とした固有の堅牢さに彼はようやく気づき、同時に支持体として充分に彼の「私」という現在を定着させながら彼方へと顎をあげることができる手法と実感したという。

 人間の営みとして、生活として、こうした行為を日常で育むことは、その人間の存在を証しながら、稚拙であっても狡猾であっても、都度新たに生まれてくるものはある。私も実は彼に促され白いMBM木炭紙を数枚広げて途方に暮れる時間をはじめたが、まだ白いまま広がっている。

文責 町田哲也


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