Nami Goto Solo TOPOS Highland 2015_02 H.R

投稿日:

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ごとうなみ Nami Goto Solo
01,May.2015 – 31,May.2015
11:00 ~ 20:00
at Haricot Rouge
トポス高地 アリコ・ルージュ 2015 02
TOPOOS Highland Haricot Rouge 2015
欧風家庭料理店「アリコ・ルージュ」
長野県飯綱町川上 2755 飯綱東高原 飯綱高原ゴルフコース前
phone 026-253-7551
営業時間12時~20時30分
休館・定休日 火曜
http://homepage3.nifty.com/haricot/

ごとうなみ展示作品価格表 >> PDF (941KB)


 コンプレックスだった油画を今年の1月から再び描き始めたが受験対応の当時とは違うさまざまな制約のない制作は、心地よかった。油画から離れていた二十数年という時間もわたしの好奇心の鮮度を高めたようだ。

 昨年のトポスインタビューでわたしは「現象に美しさを感じる」と話している。画用紙に水干し絵の具の粒子が定着した様が美しくそれを作品とした。彩色を施した後は、乾燥を待つことが制作のすべてだった。画面上にできた水たまりにゆっくりと交色する宇宙のような色彩を見て、わたしは幾度となくその近視眼にとんだ。重たい粒子が水下へ溜まり軽い色粒が上澄みに浮かぶ。そして乾燥し色は重なり合う。わたしはその様を見届けた。ただそこに絵画性を求めるとき、どこか受動的すぎるとも考えていた。素直に言えば描きたかった。だから制作途中で何度も試行錯誤してみたが、現象を残すことと描く行為をうまく噛み合せる事はむずかしかった。そんな模索をしている時にホルベインのスカラシップにより画材提供の機会を得て、知人の勧めもあり油絵の具に手を伸ばした。

 油彩では、描くことで現象が表れた。これはわたしの画への欲求を満たす契機となり、以来冬の間の没頭となった。その没頭の残像が今回の展示作品である。

これは、あからさまな方向性を含まない様々な絵の展開となったが、この中から私はこれから始まる一筋の道を見出す予感がある。

 「練習嫌いが練習しだすと恐ろしいですからね」とピアニストが言った。その言葉を今そっと胸中で反復している。

文責 ごとうなみ


051515 from toposnet on Vimeo.


 眺める者が、夥しい絵画の意匠からひとつを選び眼差しを垂れて、その視覚的表出の成立を可能とした画家の筆の動きと彼(彼女)の溜息を浮かべ創出者である画家そのものと同期(シンクロ)するのは簡単とは言えない。あるいはそんなことは表出(絵画)に望むべきことではないかもしれない。絵画という視覚的な顕われは、既に画家を離れ、今其処に見えていることと云う別の次元へ開かれていると捉えるべきとも言える。同じように、見えている事象である絵画を、それに対する解釈(言語的意訳)に頼れば、理解という浅薄な懐に差別的に納めて錯覚し、見えているという視覚を閉じる場合もあり、言説によって絵画の奥行きが消滅することもあるからいっそ分離させ、見えているという視覚の行方を「見切る」かに画家の目以上に力を注いで覗き込むべきだと、時に顕われた絵画こそが示してくれるものだ。そして絵画は更に、見えていた筈のこと、知覚した経験を、日々の「いかに見えているのか」という幾度もその前に立つ眼差しの反復によって、瞳を新たに裏切り、あるいは全く思ってもみなかった地平へ導く。つまり簡単には全てが見えて仕舞うわけではない絵画構造が、その善し悪し、強度を決めるといっていい。

 今回の水性から油性への素材論的な展開をみせた画家の平面作品は、戦略的なことではなくそうした時を得た悦びに充ちている一方で、油彩との取り組み姿勢を示す多様なアプローチを孕んだまま、格闘からの選別、手法の切り詰め、捉えの完結を示すものではなく、幾つかの照応をそのまま併置表出している。このランダムな表出併置構成であったからこそ事後的に生まれたのだろう作品への見つめの印象の強弱(あるいは差異)が、ようやく見る側(送り手も含め)へ向けて導くことがある。それは、セザンヌがセザンヌという固有名の表出以外では無いような、オリジナルティー(何を行っているのか)の問題であり、またその逆説としての「描く自由の領域」の問題であり、あるいは営為を支える「絵を描いて食っていく」為の狡猾なシステムの問題となる。つまり、彼女だけではない現代の画家には、メディチ家のようなクライアントも、創作を擁護するパトロン貴族も存在しないのであり、描いた絵画を売って生活と次の素材を準備しなければならない現実に対して、制作持続する為の回答を作品表出自体に表明しなければならない。

 社会的職業を持つ生半の立場(絵を描き売るだけで生きているこの国の画家というものはほとんど存在しない)で画家を維持する気概は、目の前に自らが顕わす作品によって支えられるものだ。この高原での個展で画家は、継続を強く牽引する「強度」のある作品タイプをふたつ示し、ひとつは開催後すぐに売約済みとなった。他にも売れたし開催期間中他にも売れるかもしれないが、この「強度」をもった作品が売れたことが、それが生まれたことよりも画家にとって大きな意味をもつだろう。

文責 町田哲也 

付記

尚、画家は開催後展示(作品配置など)を変えた。これは作品の強度に関する照応構成で生まれる印象へのデリケートな配慮である。よって、後日記録撮影を行う予定。現在は初日撮影した記録撮影の内容とは異なった展示となっている。


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